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李嘉誠専科診療所(Prince of Wales Hospital special clinic) [病院研修]

9:00 昨日Prince of Wales Hospitalの最寄りの駅を覚えた。油麻地からMTRで2回乗り換えてその第一城駅に到着。朝から外来があるものだと思っていたので、李嘉誠専科診療所(specialist clinic)の方に出向いてしまう。しかしながら、手外科専門診は10:30頃から始まるのだそうだ。Dr.Tseと連絡を取った後、病棟回診に一緒に回らせてもらうことにした。
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9:30 Dr.Tse(他のドクターは特に付いていない)とPT・OT、時にはNs.も付いて患者の回診をする。病棟は9Fのフロア全てが骨科(整形外科)病棟で130床程度ある。9Aが女性、9Bが男性と完全に分かれており、9Cは男女患者数のバランスもあることと、Trauma teamの患者が主にいる病棟ということで男女混合病棟となっていた。作りは3つとも同じようで、濃厚な管理が必要な症例は、個室(と言っても2人用)が幾つかと、基本的には大部屋は6人用になっている。ここの病棟もextra bedが通路に幾つか存在していたので驚いた。Ns.stationは区切られておらず、病室につながっているのでopen spaceで広々としているので良い。
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10:00 月曜にlive surgeryのデモンストレーションopで行われた2例(PIP人工関節、wrist人工関節)の経過も見ることが出来たのはラッキーだった。PIPの方はまだ全体的に腫脹が強い感じであった。早速、OTがsplintを作っていて、リハビリ方法などを患者とDr.Tseとともに話合っていた。Wristの方は腫脹も少なく経過良好。なかなか見ることのできる症例ではなかったので画像を記念に撮らせてもらった。
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その他、手部切断再接着術後の壊死症例に対するtubed abdominal flapの症例や、肘関節脱臼骨折術後(橈骨頚部骨折あり)の橈骨頚部偽関節・橈尺骨癒合に対して、偽関節手術・橈尺骨離解・interpositional fascial flapを行った症例などを見させてもらった。いずれの症例も初期治療をしっかりと行っていれば、次の手術の難易度が上がることはないのにな~と思いながら見させてもらっていた。この症例は、術後リハの際や鎮痛用に持続腕神経叢ブロックを留置してあった。リハ前や疼痛時にフラッシュするようであった。
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10:20 Trauma teamの病棟にも患者がいたので、見させてもらった。病棟で、複雑に下肢牽引(multidirectional)を行っている症例を見つけた。大腿骨顆上骨折のようであったが、どうしてこのような方法を用いているのかは、担当医がいなかったので聞くことはできなかった。
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10:50 食堂で飲み物を買い込んで、急ぎ足で専門診の方に向かう。院内が広いので移動にも時間がかかってしまう。外来には、Dr.PuaとDr.エルウマニが待っていた。彼女は小児整形外科医であり、特にhand・micro、anomary症例に興味があるとのことで、今日の手の先天奇形専門診の見学を楽しみにしていた。
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11:30 次から次へと患児・その家族が入って来る。他にも1-2名、中堅~若手のドクターも同じ診察室(大きな部屋に4か所ほど診察スペースがある)で診察を行っていた。患児は生後間もない赤ちゃんから小学生高学年くらいまで実に幅広くやってきた。Apert症候群に伴う巨指症、多指症、合指症、先天性絞扼輪症候群、第4趾短趾症、radial club handなどなど。。。Dr.エルウマニはデジカメで写真を撮りまくっていた。そして、自分の経験した症例などを引き合いに出して、外来の忙しい中、Dr.Tseと議論したりしている。私にも自分がまとめたスライドを幾つか分けてくれた。私のもお返しにと幾つかあげたが、興味があったかどうかは定かではない。
13:30 ランチもとらずに、続けて外来を行っていた。OTやPTがここでも一緒に付いてきている訳であるが、少し時間がある時などは椅子に座って、i Phoneや携帯をいじっているのは気になった(Dr.Puaも暇そうに時々メールしたりしていることもあった)。こちらの若者は日本と同様、携帯をいじるのが大好きなようである。電車内でも殆どの若者がいじっている。それを見て、Iowaからやって来た、Dr.Brian Adamsはかなり違和感を覚えたそうである。確かにそうかも知れない。私も気をつけよう。
14:30 ようやく終了となる。こちらの患児の両親(主に母親、祖母が付いてくることが多い)は、先天奇形という予想しない出来ごとに対しても、比較的受け入れて、我々にも隠すことなく写真を撮らせてくれたりする。ウマニは、親の姿勢が素晴らしいと言っていた。フランスの両親はもっと神経質であると言っていたのが印象的だった。最後にPC Hoの留守の間、とてもお世話になったDr.Tseと記念撮影(後方に各国の言葉で手外科を意味する文字が書かれたボードがあるのが面白かった)。
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15:20 意外と時間が余ったので、今日も寄り道して帰ることにした。Hung HomというTsim Sha Tsuiの東側に位置する港に近い駅で降りた。ショートカットして歩くと、ホテルのある油麻地までは駅2つ分くらいなのだ。駅の目の前に香港理工大学があったので、こちらのキャンパスライフは如何なものだろうか?と気になったので立ち寄った。比較的女子の学生も多い(看護学部(こちらでは護理科と書く)もあるからだろう)。
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何やら選挙の様なことをしており、投票のために長蛇の列を作っていた。構内のcaféでアイスカフェラテと海苔・ツナサンドウィッチ(まずくはないが微妙な風味)を購入し遅めのランチとした。
16:00 構内をぶらついていると、中醫學(漢方:Herbal clinicと書いてある)の診療所があったりする。理系の大學にこのような診療所(近くにはリハビリなどを行う施設もあった)が併設されているのは面白いなと感心する。
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佐敦を経由して油麻地まで歩いて行く。いわゆる目抜き通りのNathan roadに出てくると、見慣れた景色となりホッとする。デパートに寄ったり、近くの公園に行ったり、最後の香港散策を楽しんだ。
16:30 ホテルのすぐ近くに天后廟という有名な伝統的中国寺院があるのを知った。ここは広場になっており、おじさんたちが群がって何やらしてる。中国将棋の様なものに興じているのだった(賭けもしている?)。平日の夕方なのに実にのどかな感じである。
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そう言えば、街中のどこを歩いていても、日本の男性のようにスーツにネクタイという姿を殆ど見なかった。見かけたのはどこかの従業員か、西洋人・日本人なのかも知れない。従って、私がスーツ+ネクタイでぶらついていたのは、今更ながらだが、とても違和感のある光景だったのかも知れない。
19:00 小腹が空いたので、Nathan roadを佐敦方向に歩いて、雰囲気の良さそうな店に入った(HKDがなくなったのでカードの使える店が良かった)。そこは客家料理の店であった。客家(ハッカ)は、台湾の美濃の近くにも住んでいた少数民族のことなので、懐かしくなったのだ。受付のおばさんにカードが使えることを確認した。また、彼女曰く、地元ではかなり人気があるそうなので試してみることにした(他の中華は少し飽きたし)。期待していた割には、値段もそこそこ高いし、最後の晩餐にしては・・・であった。そうこうして最後の晩は過ぎていった。
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Prince of Wales Hospitalにてじっくり手術見学 [病院研修]

8:30 油麻地駅からMTRに乗り沙田駅に到着した。駅前からバスで病院まで向かおうと思っていたけど、なかなか来ないので仕方なくタクシーでPrince of Wales Hospitalに向かうことにする。今日で3回目の訪問となるので、だいたいの場所は理解している積もりだった(帰りに、もっと近い最寄り駅があることを知ることになるのだが)。
8:45 病院に到着した。フィリピンから研修に来ているDr.Puaが手術室まで案内してくれた。手術室はOrthopaedic trauma centreも含まれている建物の3Fに位置している。2年前に建てられたばかりの実に新しく広々とした病院である。4Fのロッカーで着替え、中階段を使って3Fに降りて手術室内に入っていく。3Fの手術室は8つあり、主に整形外科が使用しているようだ。本日は、そのうちの1室でHandµチームの手術が3件予定されている。一番大きな部屋(301号)は、当院の手術室2つ分はゆうにある感じ。既に患者の麻酔導入が終わっており、Dr. PC HoとDr. Tseがsettingを始めている。挨拶を済ませると、詳しく患者の現病歴、病態などを話し始めてくれた。SL dissociationに対する関節鏡アシスト下の靱帯再建術(PL tendon使用)である。世界でも名高いPC Hoの関節鏡テクニックを見ることが出来るのは実に光栄である。細かなポイントも見逃すまいとしっかりと観察することにした。
9:10 まず手関節鏡から始まった。タワーを用いた牽引で通常通りに行っているが、一つ一つの動作が実に確実である。無駄な動きが少ないというのが、手術が上手な人の特徴であろう。いつもはもっと気さくな印象であったのだが、手術中は比較的口数は少な目で、時には厳しい一面を垣間見ることもあった。
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関節鏡のデバイスやその他使用する機材には洗練されたものが多く、とても参考になった。中でも小さくて平たく先が曲がっているVaparは使い勝手がとても良さそうであった。SLのdissociationの靭帯再建を行うのに、PL採取の創を含めた皮切が、掌側・背側合わせても5cmにも満たない驚きの程度である。骨孔に靭帯を通すのが最も難しいポイントであると思われるのだが、これも特別な鉗子(2.0mm)を用いて容易に行っていた。
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13:10 手術終了となった。時間はかなりかかった感じであるが、何度も何度も関節鏡で確認したり、イメージで確認したりしていたのが印象的であった。大間違いを起こさないためには、複数回にわたる確認作業というのが実に重要なのだと改めて感じた。
13:30 Dr. PC Hoは用事があるらしく、早々と手術室を後にしてしまった。明日からは、シンガポールにワークショップで旅立つのだそうである。実に忙しい先生である。手術後にはいつもの気さくな笑顔を見せてくれた。
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14:00 途中から見学にやってきたDr.エル(ウマニ)とフィリピンからの研修生Dr.Puaとともに病院食堂でランチとした。とても混雑していたが、職員用スペースを借りて、ローストダック丼みたいなものを頼んでみた。肉の味は美味しいのだが、ご飯がパサついているのが気になってしまう。
14:30 2例目はDr.Tseが1人で中節骨骨折プレート固定術後の感染症例に対する抜釘、デブリドマンを行っていた。既に伸筋腱や背側の軟部組織がなくなってしまっている。来週、隣の指からのisland flapを行う予定だと言っていた(その時見学したかったものだ)。
15:00 3例目が始まるまで時間があったので、談話しているDr.エルウマニたちの写真を撮ったり、他の手術室を覗いてみたりした。
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Trauma teamが、高齢者の大腿骨顆上骨折A3 typeに対してMIPOにて骨接合を行っているようだった。Imageで固定中のplate・screwを見る限り、しっかりとAOテクニックを理解しているようだった。また、外科チームの部屋には、遠隔手術システム(ダ・ヴィンチ)が置いてあった。後で聞いてみると、香港に3台程しかないうちの1台であるそうだ。腹腔鏡視下の手術などを遠隔操作で行っているらしい。ここでは、最先端の治療が頻繁に行われている。
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16:00 3例目は、橈骨遠位端骨折変形癒合後の尺骨付き上げ症候群に対する、関節鏡視・ulnar shortning術であった。Dr.Tseも関節鏡手技はかなり手慣れている感じである。三角骨は付き上げによるimpactionのため、軟骨欠損が生じていた。TFCCはPalmarⅡD。また、尺骨頭は露出してしまっており、こちらも軟骨消失がみられた。滑膜切除・デブリドマンを行った後、尺骨短縮を行った。こちらの手技は特に目新しいことはなかった。プレートはAOのconventional plate 6穴を使用していた。5mm程shortningしていたのでやや過矯正となっていた。
18:30 ゆっくりとした感じで手術が3例行われた訳であるが、多い時はもっと忙しいのだとか。もっと他のマイクロ手術などを見てみたかったのだが、残念ながら叶わなかった。「また明日来ます!」と言って、今日は解散となる。最寄りの駅は、徒歩数分の第一城というところだったので、帰りはこちらからホテルに戻ることにした。
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19:00 1駅手前の旺角駅で降りて、街中を歩いて帰ることにした。旺角は九龍島随一の繁華街だし、有名な金魚ストリートや女人街(怪しいところではなく、女性物の洋服などの店が軒を連ねているエリア)を散策したかったのだ。途中小腹が空いてきたのだが、香港ドルが切れてきたことに気付き、両替商で1000円だけ交換した後に、マンゴジュースやニラまんじゅうみたいな揚げ物をつまみ食いしながら歩いていった。
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19:30 途中寄り道しながら油麻地まで歩いて来ると疲れが出てきた。吉野家の看板が目に入ると、好奇心旺盛な私は、こちらの味も是非試してみなければ!と急に思い立ち寄ってみることにした。肉の味は日本とさほど変わらず美味しい。ご飯は・・・。日本のを100点満点とすると70点くらいだろうか?でも昼の御飯のパサつきよりはマシだったので、何か工夫しているのかも知れない。。。
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律教治醫院とPalmela Youde Nethersole Eastern Hospital [病院研修]

8:10 待ち合わせに10分遅れで、Dr.Wan(空港まで迎えに来てくれた早口の彼)がやって来た。これから、DK hospital(昨日見学に行った小児専門病院)で研修中であるフランス人Dr.エルをピックアップしに向かう。
9:00 途中、朝の渋滞にはまりながら、今日手術見学することになっている、律教治醫院(Ruttonjee hospital)に到着した。
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1例目の手術は、橈骨遠位端骨折(DRF)の掌側ロッキングプレート(VLP)固定で、レジデント執刀ということもあり、面白くないだろうからと近くで朝食をとることになる。Dr.エルはコーヒーがお嫌いだということだったのだが、病院から徒歩5分くらいの場所にあるスターバックスコーヒーで何故か私も紅茶を頂いた(スタバに紅茶があることを初めて知った)。病院自体はあまり大きくはない。入り口に送迎用のバスが停まっていた。香港も介護サービスなどが必要になってきているようだ。
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10:00 手術室に向かう。A2の単純なColles typeのDRFだった。IFP 2本で整復した後に、シンセスの2.4mm VLPで普通に固定していた。尺骨茎状突起骨折(USF)は伴っていなかった。もしあった場合にはどうするか?問うてみた。このRuttonjee hospitalは600床程度の病院で整形外科医が5名勤務している。しかしhand surgeonがいないので、近くのPalmela Youde Nethersole Eastern Hospitalから手伝いに来ているのだ。そのチーフというのが、何と、私が学会場で、後期レジデントと思っていたけど座長までしていてびっくりしていたというあの彼だったのである。Dr. TC Wongは、弱冠40そこそこの気鋭のhand surgeonらしい。昨年、台湾のChang Gung memorial hospitalに3ヵ月ほど修行にも行っている。実は実力者だったのだ!その彼曰く、USFを固定することは殆どない。特に高齢者は逆に痛がる。最近の文献でも固定しないでいいと言うことになっていると言っていた(私のpaperが含まれていることは知らないようだった)。なるほど、USF放置もworld standardになりつつあるんだなと感じた。しかしながら、私は「受傷時UV高値の症例」「若年者で高活動性」「CTでstaticにDRUJの亜脱臼を認める例」などは、固定の適応があるのでは?と提言しておいた。若きhand surgeon Dr.TC Wongと。
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10:30 休憩室でDr.エルと雑談していた。今、日本で流行りとなっている、Masqulet(フランス語読みを教えてもらったが「マスクレッ」だった)techniqueは、彼の国フランスでは10年以上前から行われているテクニックらしい。フランス語の論文しか書いていなかったため、あまり世間に広まっていなかったようである。彼はもう70歳近い年齢なのだが、実に独創的な多くの方法を編み出しているそうである。Basic scienceに基づいた研究は、彼女も注目していたと言っていた。2011年のInjuryにあの方法が発表されて以来、遅ればせながら、現在日本でトピックになっていることを話した。彼女は、基礎研究もしているようで、induced membraneのしくみなども理解していたので、話を聞いていると実に興味がわいてきた。もっと日本でも突き詰めていくべき分野なのではないかと感じた。
11:00 2例目は、肘部管症候群に対する鏡視下開放術であった。初めて見る手技であったが、なかなか得ることの多かった手術である。関節鏡のシステムや使用するデバイスに工夫が凝らされているのが良かった。適応はmildな症例にのみということ、合併症の問題が100%近くクリアできるのであれば、tryしても良いかも知れない。ECTR同様、learning curveのある手技なのでとっつきにくいかも知れない。日本で大流行りしていないのは、その辺りの問題なのであろう。慣れれば局所麻酔でも可能だと言っていたがそれはやり過ぎでは?と思った(せめて伝達麻酔でしょう)。
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13:00 途中、Dr.TC Wong、Dr.エルと休憩室でコーラなど飲みながら談話していた。手術の入れ替え時間は比較的早い(麻酔前室はないけれど)。手術後、電子カルテに全て英語でop. recordを打ち込んでいる。手術所見を絵で書かないのか?と聞くと殆ど書くことはないと言っていた。
13:30 3例目は、母指CM関節症に対する、suspension interposition arthroplastyであった。手術前に、数年前Hand Surgeryに彼が発表した論文のin printをくれた。FCRのhalf slipを作成し、第1中手骨基部に骨孔を開けsuspension、またhemi resectionしたtrapeziumとのgapにPL tendonで作成した腱球をinterpositionするという方法である。埼玉では、Kaarela/Mathoulin法(数本あるうちのAPLの1-2本を採取しFCRに巻きつける)をしてきたが、慣れればどちらでも良いような気がした。PL tendonをinterpositionする必要があるかどうかは?であった。皮切はこのやり方の方が小さいかも知れない。日本人は、和式の生活スタイル(畳から手を広げて立ちあがるなど)があるので、CM関節を固定すると不自由になるというのが、K島先生の持論で固定は一切行っていなかった。まだまだcontroversialな分野かも知れない。やはり10年以上の長期成績を出して論じるべきであろう。
15:30 遅めのランチに行くことになった。Ruttonjee hospitalの若手医師2人も連れて近く(Wan Chai)の中華レストラン(昨日と似た雰囲気)に行った。飲茶形式が基本なのだろうか。昨日よりは控えめに済ませた。牡蠣と卵のお好み焼きみたいなやつが特に美味しかった。
16:30 Dr.TC Wongたちは、病院に戻らなければならないとのことで、街中でお別れする。私は近くのPalmela Youde Nethersole Eastern Hospitalに寄って帰ることにした。街中では、香港国際映画祭の看板がある。この時期の大きなイベントの一つであるようだ。
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17:30 タクシーに乗り15分ほどで到着(意外と遠かった)。この病院は1400床を超える香港島では2番目に大きい病院(1番は昨日行ったQueen Mary Hospital)である。山の中腹にあること、作りがやや古い感じなのは、QM hospitalに似ている。ぶらぶらと院内を散策してみたのだが、これといって目新しいものはなかった。幾つか病院を見てきたので、もう慣れて来てしまったのかも知れない。
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18:00 ミニバスに乗って北角まで(6HKD)やって来た後、徒歩でCauswayBayまで歩いた(MTRで3駅分)。途中の天后駅付近には、4年前に訪れた際に泊まったホテルがあって懐かしくなったり、香港中央図書館があったので寄ったりして過ごした。
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繁華街であるCauswayBayまで来た頃には、脚に疲れが出てきた(革靴だったし)ので諦めて(可能ならもう2駅歩こうと思っていた)、MTRに乗り込むことにした。ラッシュ時なのか、駅構内はかなり込み合っている。こちらの駅員(おそらく大学生くらいのバイト)は、駆け込み乗車を防ぐために「Stop!」という札を掲げて、乗客を制しているのが特徴的である。
19:30 疲れながらホテルまで到着した。立派なホテルならプールが付いているので、優雅に泳いだりも出来るのだろうが、残念ながら私の泊まっている中流ホテルにそんな施設は備わっていないのである。

大口環根徳公爵夫人児童醫院とQueen Mary Hospital [病院研修]

8:30 今日は、香港で最も優秀な香港大學の付属病院であるQueen Mary Hospitalの見学の予定になっている。わざわざ、そこのHand & Foot部門のチーフである、Prof. Wing(女史)が迎えに来てくれた。何と、タクシーに乗って登場されたので驚いた。自宅から私のホテル経由で病院に向かうのだそうだ。今日は大學の方で手術するのではなく、近くの小児専門病院において手術するのでそちらに向かうとのことだった。
9:00 大口環根徳公爵夫人児童醫院(DKCHと略されていた)に到着した。現在の建物は30年以上前に建てられたようである。
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この施設は、歴史があって小児の側彎症では世界的にも有名な施設らしい。実際、AO spineのfellowshipなどで日本から2人のドクター(奈良医大から)が3ヵ月と1年で研修に来ていた。Prof. Wingの話す英語はとても流暢で聞き取りやすいのだが、かなり早口で良く喋ってくれる。1つの質問に10くらい答えてくれる感じ。実際、手術中も(広東語で)かなりおしゃべりしていた。はじめに、建物内を案内してもらう。作りは古いが、随所に工夫が凝らされている感じだ。中庭はオープンスペースでゆったりと出来るので良さそうだ。手術室やロッカーは狭いし古い。しかしながら、その中では、最先端のことがなされているのだから驚きである。スタッフも概して愛想が良い(おそらく私のような見学者がかなりの頻度で訪れてくるので慣れているのだろう)。「博多通りもん」をお土産で渡したら、早速「美味しい!!」と言って食べてくれた。あっという間になくなってしまった。
10:30 この病院には、1ヶ月間の研修予定でフランスから女医さんが来ていた(El Hohmami?仮にDr.エルとしておこう)。彼女は、金曜日のcadaver workshopに来ていた。彫りの深いArabic顔なので覚えている。この病院の前には、中国のどこかで3ヵ月ほど研修していたらしい。Prof.曰くworld travelerなのだとか。さて、手術室に患者が搬入され、準備をすすめていく。こちらにも、手術準備をする専用スタッフがいた。本日の手術は、進行したRA患者のMP関節arthritisに対する、resection arthroplastyである。人工関節はこの患者には用いないとのこと(この先生はどちらかと言うと、手術に対しては保守派の印象)。変形矯正、軟部組織バランス調整で機能と整容改善をはかる予定。この方法は独特であり、亜脱臼したMP関節を整復するために、中手骨頭をresectionした後、弾力性のある吸収pinを用いてMP関節を良肢位で固定してしまう。その後に関節包や伸筋腱、腱帽様組織を軟部組織のバランス調整をしながら縫縮していくのである。
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執刀は、下の先生がされていたので、全体的に時間がかかってしまうため、途中、隣で行っていた脊椎側彎症の変形矯正の手術を見たりしながら過ごした。SEPでモニタリングしながらインストゥルメント固定を行っていた。何と、まだ若そうな女医さんがpedicle screwを刺入していたのには驚いた。休憩時間に、談笑していたそのspine surgeonとDr.エル。
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13:30 最後にProf. Wingと記念撮影もした。彼女は、香港手外科における重鎮である訳だが、とても気さくで話しやすい先生だった。
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途中で、Dr.Kenny(来月日本へexchange fellowでやって来る)も見学に訪れて来た。今日は近くのサナトリウム病院のdutyがあるらしいのだが、途中、時間をもらって来たのだそうだ。驚いたことに、香港のドクターは給料が一律らしい。だから、もっと稼ぎたい人は、private hospitalに来て手術をするのだそうだ。香港も大変なようである(とは言え、こちらのドクターはたいがいイイ車に乗っていた)。手術後にみんなでランチに行くことになった。
14:30 Queen Mary Hospitalにほど近い、中華料理屋にやってきた。ランチなので飲茶形式である。有名店らしいので美味しかったが、Kennyが次から次へと勧めてくるので、終盤はいささか閉口気味であった。
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15:30 Prof.に付いて、彼女の勤務先であるQueen Mary Hospitalにやって来た。病床数は1400床程度で、主に急性期医療をしているらしい。AO Traumaで有名な、Flankie Leungもここで働いている。病院は山の中腹に位置していて市内からは若干遠い。しかし病院からの眺めは良さそうである。
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Profのofficeを案内してもらう(秘書さんが私用にと、記念のネクタイや50周年記念の冊子などを準備してくれていた。うーむ。お土産持って来なかったのはイタいな・・・)。壁にvisiting proffesorの写真が掲げられていたが、過去に日本からも多くの教授が訪れて来ているようだ。
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16:30 一通り、院内を案内してもらう。歴史があるだけに中には古い建物をあるし、建て増しが繰り返された感じも否めないが、比較的機能的な印象を受けた。特に、職業治療(OT)の設備はしっかりしており、スタッフも優秀でProf.がかなり力を入れている分野なのだと思った。
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17:00 再びタクシーでProf.が近くの駅まで送ってくれた(私がこの後、市内散策に行きたいと言ったので)。MTRの香港駅でお別れをし、またの再会を誓った。
18:00 IFCモール(木曜にAlexと来た場所)の本屋で買い物したり、再びApple storeに寄ったりして過ごし、ぶらぶらと港の方にやってきた。MTRで帰ろうと思っていたのだが、夕暮れの海の景色が気持ち良かったので、Star ferryで九龍島の方に渡ることにする(4年前のSICOTで「隊長」達ときゃっきゃしていたことを懐かしく思い出したりしていた)。2.5HKDと安いのが魅力である。7-8分の船旅なのだがVictoria horbourから眺める香港島側のビル群は、有名な景観ではあるが、いつ見ても圧感だ。港には、豪華客船が寄港していた。
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19:30 Tsim Sha TsuiのAvenue of starsの辺りを散歩しながら、MTRに乗ってホテルまで戻った。今日も、ランチが豪華だったので夕食は一人でささやかに済ませることにした。
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病院研修はTuen Mun Hospitalへ。午後はフリー。 [病院研修]

6:30 時差が1時間あるためか比較的目覚めは良い。昨晩は夜食したので朝食は飲物のみとした。本日は、今回の学会のpresidentである、Dr. Alex Choiの勤めている、Tuen Mun Hospitalに病院見学に行くことになっている。
7:45 病院ロビーまで、Dr. Alex Choiがわざわざ迎えに来てくれた。とても長身(190cm以上)の物腰の柔らかな先生である。Dr. Alexも10年以上前に、exchange travelling fellowで日本に来たことがあるのだそうだ。
8:15 慶應義塾大、北海道大、弘前大などに約2週間滞在したのだそうだ。従って、同じ境遇である私にとても親切に接してくれる。イイ先生で良かった。そうこうしているうちに、New territory westというareaに位置する、約1600床のTuen Mun Hospitalに到着した。
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見るからに大きい(見た目はやや古い感じで、たくさんの建物が寄せ集まっている感じ)。駐車場にAlexの車(トヨタのプリウスだった:私と同じだと言うと燃費が良いことなどで意気投合した)を停めて、院内に入って行った。駐車場からすぐに院内に入っていけるところが面白い。目的の手術室はすぐそこだった。ロッカールームは日本のそれとは大差ないが、Dr.ごとに専用の長靴が置いてあるのには少し驚いた。勿論、ここは土足禁である。術衣・キャップ(個人用のオリジナルを使用する者もいる)、シューズに着替えて、手術室内に入った。部屋は意外と少なくて4室しかない。理由は?と聞くと、他の場所にも違う科が使用するのがあるのだそうだ。計20室程度はあるらしい。また、ドイツなどでもあった麻酔前室がここにもある。スムースな入れ替えには必須であろう。
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8:30 本日は残念ながら、手外科の手術はないそうで、肩の関節鏡の手術を見学することになった。Alexは小児の股関節脱臼の整復失敗例の再整復・ギプス固定のsuper visorにもなっているようで、途中でいなくなったりした。
9:00 settingには、手術室技工士:technician(台湾にもいた)が行っている。彼らは、患者の搬入・搬出までやってくれるそうだ。特別なライセンスは持っておらず、病院が雇っているとのこと。しかしながら、ずっと同じことばかりしていれば、いずれはプロになれるものだ。ただ、ここのtechnicianは閉創などまではしないそうだ。タイムアウトは日本と変わりなし。肩の牽引も同じような牽引システムを使っていた。しかし、錘の入れ物がバック型になっていて、その中に砂のうなどを入れていたのは面白かった。ぶらぶらと、手術室内を散策したり、写真におさめたり(勿論、許可は取っています)、麻酔科の女医さんと世間話をしたりして過ごした。
10:30 手術は指導医が下の先生にやらせていたので、あまり面白くなかった。しかも腱板ははっきりした断裂がなくて、関節内と腱板周囲のdebridementとsubacromial plastyのみで終了となってしまった。。。
11:00 終了後は、Dr.Alexに紹介されたDr. ?(また忘れてしまった。香港の名前はみな似ているし難しいのだ)と一緒に病棟や整形外科外来やリハビリテーション施設を見学した。病棟は驚いたことに、extra bedが廊下にズラリと並べてあるのだ!!
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男性ばかりだったが、彼らにはプライバシーなどあったものではない。驚いているのもつかの間、病棟の一角で、興味深い症例を幾つか見せてくれた(月状骨周囲脱臼症例は、舟状骨腰部での骨折と月状舟状骨間離解、三角骨骨折を合併していた。珍しいという人もいるが、Alexはこのようなtypeは時々見かけると言っていた。他は、多発外傷で不全型の腕神経叢麻痺、同側の鎖骨骨幹部骨折、対側の上腕骨骨幹部骨折の症例だった。受傷からもう5日経過しているのだが、まだ骨折の手術をしていなかった。ETC、DCOはまだ浸透していないようだ。外来は25もの部屋があり、17-8人の医師が外来を行っているのだとか。外来でAlex(一番右)たちとパチリ。まだ私の笑顔が硬い・・・。
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途中、一番偉い先生が挨拶しにきてくれた。忙しかったのだろうがちょっと偉そうだった!?リハビリテーション室にも行ってみた。面白いのは、ハンドセラピストというpositionが定まっていないようで、PTでもOTでも手のリハビリテーションを行っている。まだこの辺りが問題なのだとAlexは残念そうに話してくれた。
11:50 午後は観光に連れて行ってくれるとのことで、病院を後にした。Tuen Mun市内にある大きなデパートのような場所に連れて行ってくれ、中華スタイルのランチ(辛いタンタン麺と小龍包など)を頂いた。味は濃厚で美味しかったので、スープを全部飲んでしまうのだった。
13:40 場所は変わって「中環」に来た。特に何も言ってはいなかったのだが、ショッピングはどうだ?とのことで、香港随一のスポットであるこのareaにやってきた。ブランド店を中心に、広~いスペースにたくさんのshopがある。Apple storeにも寄ってみたが、作りが実にシンプル。無駄なものがデスクの上に一切ない。そして店員の数がやたらと多い。これが成功の秘訣なのだろうかと感じた。また、スーパーマーケットが面白いだろうということで、向かってみる。確かに日本のそれとはかなり異なるスタイル(ドイツに近いかな?)である。何となく購買意欲をかきたてるような陳列法には感心する。値段はそれ程安くない。むしろ日本より高い物も多い。いくつか香港っぽい物(調味料など)を買い込んだ。途中、あの「HARIBO」を見つけた。ドイツのお土産で買って帰ったら(正確には貰いものだったのだが)、ある先生から、今までもらったお土産の中で一番不味かったとの弁を頂いた悪名高い「あれ」である。さすがに今回は見向きもせず通り過ぎた。
15:00 ちょっと疲れたので、TWGというシンガポールが本店のtea shopで休憩した。この店のお茶の品数はハンパない。世界各国のお茶(紅茶・烏龍茶・緑茶など、要はコーヒー以外)が全てあるくらいの在庫なのだ。日本では東京にしかないそうだ。また来てみたい店だった。
15:30 この後に、アメリカからの来賓である、Dr. Brian Adams(DRUJ不安定症のAdams法などで有名)達と、ビクトリアピークに行くのだそうだが、以前行ったことがあったのとちょっと休みたかったので、お暇してホテルに戻ることにさせてもらった。
16:30 MTRを使って、最寄りの油麻地までやってきた(中環から11HKD)。駅からホテルまで少し迷ったが、何となく昨日ぶらついたので戻って来れた。
18:10 シャワーを浴びたり、簡単にメールチェックなどしてゆっくり過ごした後、本日の晩餐に向かうことにした。ICCというのっぽビル(110階建てくらい300mくらいの高さ?)で待ち合わせとなっているので、ホテルからタクシーで向かった。10分くらいで到着した。
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18:30 目的のICCビル102階のスカイレストランでは、Dr. Alexの奥さんが一人で待っていた。Alex達一行は、渋滞にはまっていて少し遅れるとのことだった。名刺交換などをして2人で雑談していた。奥さんは日本語を勉強していたらしく、少し話せる。心理カウンセラーの仕事をしているとのことだ。なかなか利発そうな方であった。お土産にと、特製のネクタイや色紙、オレンジなどを持たせてくれた。。。
18:50 AlexやDr. Adams、Dr. Evansが意気揚々戻ってきた。ビクトリアピーク良かった!と言って結構はしゃいでいた。挨拶もそこそこにテーブルについて食事が始まった。あと2人途中から来るのだそうだ。メニューは奥さんが見つくろってorderしてくれた。
20:00 ワイン飲みながらジャスミンティーのような薄めのお茶をチェイサーにするという一風変わったスタイルで飲んでいった。途中参加は、第3の西洋人(どうもインプラント会社のお偉方)と、来月、日手会にexchange travelling fellowでやってくる、香港大学のDr. Kenny Kwan(オックスフォードを卒業しているとのこと!)であった。彼は私よりも若そうだし話しやすかった(会話力には大差あったが・・・)。
20:30 たくさんの話題が出てきたが、途中、アメリカの大統領選挙の話のくだりには殆ど加われなかった。Dr. Kennyはかなりくいついて、いろいろとnative様にやりとりしているので、何だか疎外感があった。Nativeはnative様に話してくれる人間と、そうでない人間を無意識に差別しているような気がする。non nativeは得意なんだが・・・。チクショー!ただ産まれた場所がラッキーなだけだろ?負けてたまるか~!
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21:10 Dr.Kennyにホテルまで彼のBMW(おいおい、飲酒運転じゃんか?台湾もそうだったけど、ちょっと昔の日本みたいである。少し飲んだくらいでは、飲んでないとして運転してしまうようなのだ)で送ってくれた。明日のcadaver workshopも迎えに来てくれると言ってお別れした。彼はエリートコースっぽい雰囲気を醸し出している。10年後の彼が楽しみだ。
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